伝承錦木塚NISHIKIGI ZUKA
錦木塚とけふの細布
鹿角市十和田錦木地区にある「錦木塚」。
それにまつわる伝説が古くは平安時代の後拾遺和歌集の能因法師の和歌、
また室町時代の世阿弥の謡曲において錦木がその題材となり、
この地の名は全国に広く知れ渡るようになりました。
「錦木塚伝説」
昔この地方には男が思う女の家の門口に
美しく色飾りした棒ほどの木、“錦木”を立て、
女は逢いたい男の“錦木”を内に取り入れ、
逢いたくない男の“錦木”はそのままにして置く習わしがあった。
“細布”を織り、市に出す美しい娘を見そめた若者が、
“錦木”を娘の家の門口に七日立て続けるも取り入れてもらえなかったが、
男は益々思いを募らせ百日、更に三年と立て続け、
それでも“錦木”は取り入れられることはなく、男は思いあまってついに命を絶った。
娘はせめて一夜でもと思っていたが、
親の許しを得られずどうすることもできずに“細布”を織り続けていたのだった。
男の死を知った娘は、悲しみのあまり男のあとを追った。
里びとは二人のなきがらを夫婦と名づけてともに葬り、そこを錦木塚と呼んだ。
「けふの細布」
錦木伝説に登場する娘が織る“細布”は「けふ(毛布あるいは狭布)の細布」と言われ、
鳥の羽毛を織り込んだ幅が狭い織物。
文政4年(1821)の『御領分産物書上帳』毛馬内通の項に「狭布細布 古川村」とあり、
古川の里で織り出される細布は、錦木塚とも深い縁をもつといわれ、
鹿角の名産として幕府巡見使の鹿角通行の際には献上されるのを通例としていた。
この細布は幅6寸(約18.2cm)、長さは2丈6尺(約7.88m)が一巻といわれ、
その名の通り普通の麻布より幅が狭かった。
錦木塚伝説は都に伝わり貴族の心をも打ち、
平安後期から鎌倉時代にかけて和歌の歌枕「錦木」「けふの郡」「けふの細布」として
数多くの和歌に詠まれている。
また世阿弥作の謡曲「錦木」は陸奥国狭布の里を舞台として、
錦木伝説を題材にしたストーリーであり、500年余りを経た現在も能舞台で演じられている。